-

Japan Inter Culture / 一般社団法人日本国際文化協会(JIC) / 国際交流は新しい未来の心を開く

-
芸術文化
日本画の世界†鳥たちに魅せられて
芸術文化 / 平成18年10月12日


平成18年10月12日(木)午後6時より、東京・赤坂 乃木会館本館隣り「メゾン・ブランシェ」において、上村淳之画伯を迎え芸術文化講座を開催しました。定員80名をオーバーするほどの盛況でした。その講演の概要を下記に掲載しました。

周りから反対された画家への道
絵描きというのはソロ活動になります。自分の思いのままに独断と偏見で仕事を進めておりますので、こちらでお話申し上げることも、まったく独断と偏見の上にたった言葉でございますので、あまり信用していただくわけにはいかないと思います(笑)。
私の祖母は「上村松園」で、父は「上村松篁」でありますが、父の勧めであるいは祖母の勧めで絵を描いたわけではなくて、逆に猛反対されながら、やっぱり蛙の子は蛙というように思ってこの道に入りました。
私は横着者で好き勝手をしてきたつもりでおります。私が現在アトリエを構えております場所は、松園が第二次世界大戦中、京都にも爆撃があるかもしれないということで、父が嫌がる松園を無理やり疎開させた場所であります。そこは松園が亡くなってから使っておりませんでしたので草ぼうぼうで大変な荒れ様でございました。幸い空き家でありましたので、父がむっとしているというときには、学校に行きたくないということがあって、そこに何度か家出をするような形で逃げてまいりました。そして現在はその場所で、私は自分の絵の世界を追求しております。

鳥との触れ合いの中で
現在アトリエには263種類、15,600羽の野生鳥類がおります。その鳥たちが自由しかも健康に穏やかな時間や空間を作ってくれることが、私にとって絵の材料になり、イメージを作るのに大変大切なことでございます。私が飼育の方法を工夫し、試行錯誤を重ねて参りまして、小さな家での野鳥の繁殖は多分日本では私が一番多い経験というか成功例を持っているかと思います。たとえば「コマドリ」であるとか「オオルリ」「ウグイス」「ホウジロ」あるいは馴染み深い「ヒバリ」といった鳥たちを禽舎の中で雛に孵すことが普通は難しいのですが、私のアトリエではそういう鳥たちが生まれてくるようになりました。鳥の生態や繁殖方法を理解して、木をたくさん植えて親鳥が安心して子育てできる環境を整備することによって繁殖が可能となりました。野生に生息している虫を養殖して、それを存分に彼らに与えることによって、鳥同士が仲良くなり争わなくなりました。そのような飼育の中で鳥たちと対話し、私は絵を作っております。
描くことは対象を正確に再現することが目的と思われることもありますが、実際はそうではございません。絵というのは作家の胸中に作り上げたイメージを具現化したものであります。絵画は形でもって表し、音楽は音に直して音に還元して表現する世界であります。文学は言葉を連ねて自分の創造する世界を構築します。その世界に見る人、聴く人、読む人、作家が創造した世界にいざなって、お誘いして、そして共にいい人生、人間の在りようを探っていきましょうという呼びかけがあって初めて芸術というものの存在価値があろうかと思います。
 それを変な方向に持っていくのでは不朽の芸術とはいえません。ただ人間性をいわゆる開封するためもございますが、開封したのちにそれを今度は緊張の世界にもっていかなければいけないと私は思います。人間は常に緊張した人生であって初めて生き方があるので、だから逆にその世界に開放するだけではなくて、 緊張した想いを持って頂く必要があろうかと思います。そして緊張感を齎す自分を我々は緊張を持って眺めることによってそこから教えられることが多いのだと思うのです。

花鳥画の原点
 日本は大変恵まれた国であります。四季の変化、彩りに支えられて誠に穏やかなまたは優美な社会を展開して参りました。
奈良朝時代に伝えられた花鳥画というジャンルだけに話をしぼって申しますと、奈良朝時代に中国の宋の時代に成熟した花鳥画が日本に伝り、大陸から離れた場所にあることによって、固有の発展をしたのだと思います。この間も取材がございまして、正倉院の御物に出てくる鳥の種類を「この文様はこの鳥からきたものだ」というのを判定するようにと命じを頂きまして、倉庫に入ってそして正倉院の中に入らせていただきまして調査をしました。その中に出てくる鳥たちは、いかにも人間と等しげな世界を展開していることを知りまして「あ、これが花鳥画の原点にあるんだ」ということも、ようやく感じているところです。

東洋の目線
 花鳥画というジャンルがきちんと育っていくというのは、東アジアの文化だけであります。ヨーロッパには御座いません。自然との共生の中で東アジアの文化が育まれたと言われております。それは人が自然を支配しているという考えよりも、自然と共に自分が生きているという考えの方が強いからで、いわゆる上から見下すのではなくて、花と鳥と同じ目線で見ることによって、生まれてきたというのが正しいのでは無いでしょうか。ただ単に山に入って一緒に森林浴をするそんな生易しいものではなく、ほんとに自然に生きている現象、それに教えられて、導かれて、自分の生き方を知るという、そこまでの感覚が芽生えれば共生をしているということになると思います。
特にそれが花鳥画の世界では主役が花であり鳥でありますから、自然から全てを学びそして教えられ導かれるのです。作家の想いを花に語らす、鳥に語らせてできる世界というふうに考えたらいかがでしょうか?鳥と花と自分が一体感と考えて、そういう気持ちになって初めて花鳥画を描くことが可能なのだと考えております。

描く対象が導いてくれること
 そういった自然界に教えられて、導かれて、人間の美しい生き様を展開していかないといけないと思います。そんなこんなで私の仕事は展開しております。仕事をしていて一瞬でも出来たと思ったりちょっと上手いことできたかなと思って、にこにこしているのはごくわずかの時間です。私がすぐに次の仕事にかかる理由は「あれではダメだ」「さらにこうやろう」などと思いながらこれを補填するために次の仕事にかかります。私の仕事はそういう仕事です。ですからいつまでたっても辞めることができない、まして描く対象が生物で随時姿を変えているものですから、対象に教えられながら、その奥にあるその現象が起きている現象をどうしても見たい、あるいはそれを知りたいという姿勢でやって参りました。
 まだやらなければならないことがあり、まだあるぞと、描く対象が私を導いてくれます。導かれている間は導きにしたがっていけるものなら行きたいというふうに思います。限りの見えるものはそこまで行ったら終わりですが、自然は一つなにか不思議な世界や美しい世界を見つけると、奥がまだあることを教えてくれます。
 また私がその場に立って美しいなと思える限りは、まだまだ絵を描くことのできるまた、まだ描くことをしても構わないと許されている人間なのかなと思いながら、私はまだまだスタートラインに立ってないので、これからやらなければならない仕事がまだまたたくさんあるわけです。73年生きてきて、あと何年あるか考えたことが無いので、まだのん気に暮らしておりますけど、もうぼちぼち結論を出していくようにしないといけないとときどき考えています。ありがとうございました。

 講演の後に、中島宝城氏(本協会理事・宮内庁歌会始委員会参与)から乾杯のご発声をいただき、会食に移りました。中條会長(写真右)は少し遅れて名古屋から駆けつけられ、会食後に御礼の挨拶をされ、和やかな内に閉会となりました。




記事一覧